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ロードワンデリングPW 京都~伊勢神宮

場所:京都府→滋賀県→三重県 行程:9 月 12 ~ 15 日 同志社新町 BOX→水口駅(移動距離 47 km) 水口駅→津駅(移動距離 45 km) 津駅→伊勢市駅(移動距離 38 km) 伊勢市駅→伊勢神宮(移動距離 5 km) メンバー:(三回生)稲垣 津留 西 (一回生)加藤 高木 段ノ上

概念図

 1回生の段ノ上がなんと3000文字以上に渡る超大作を書いてくれました!時間のある時にお読みください!↓

 出発の日の朝は土砂降りだった。激しい雷雨のため、出発時間は予定から二時間ほど遅れた。スタートこそ悪かったものの歩き出しは会話も弾み、順調に進んでいくことができた。

 しかし、午前中はずっと雨が降り続けたのと、昨晩の津留さんの寝言の影響でぐっすり眠れなかったせいもあるのか、メンバーを睡魔と疲れが襲った。ただ、肉体的な疲労によって歩けなくなるということはない。眠くてもしんどくても、歩くことさえできれば前に進むことができるからだ。(のちに書くが、痛みや精神的ダメージによって歩けなくなる ことはしばしばある。)しばらくの間、沈黙と他愛無い会話を繰り返しながら歩き続け、 京都と滋賀の県境までやってきた。当たり前のことだが、車のナンバープレートがだんだんと滋賀ナンバーになっていくことに感動し、自分たちの歩いてきた距離をはじめて実感したことを覚えている。昼を過ぎると、琵琶湖に到達した。長さ 1.5 km近くある琵琶湖大 橋を渡りながら琵琶湖の大きさに感動しつつも、渡り終えた時点でまだ一日目に歩く距離 の半分も進んでいないことを知り、軽く絶望した。その後、徐々に痛みつつある足や「なんで今こんなことしてるんやろ」と考え始めた冷静な自分、大量のひっつきむしと闘いな がら、ひたすら歩き続けるうちに夜を迎えた。三回生の先輩は、夜になると一時間おきに スピードが落ちてきて疲れが倍増し、どんどんしんどくなっていくと教えてくれた。 すでに疲労のピークを迎えていたので、これ以上しんどくはなれないだろうと思っていた 自分が馬鹿だった。その言葉通り、夜 9 時を過ぎたあたりから足の裏が異常なほど痛み出し、足を引きずりながら歩くまでになった。一回生三人は「明日も歩き続けることなんか、絶対に不可能だ。」と嘆きながら歩き続けた。あまりにも痛いので、おかしくなって しまった一回生の高木は、突然300m ほどの距離を疾走し始めた。彼のポテンシャルの高 さには、目を見張るものがある。一方の三回生は、歩くペースが一向に変わらない。ここで、先輩との壁をまず一つ見せつけられた。メンバーはその日の夜 10 時 40 分ごろに目的地である水口駅付近の温泉に到着した。温泉についた時、メンバーは足の裏が地面につかないような特殊な歩き方を身に着けていた。周りからは変な目で見られたが、こうしないと痛くて歩けないから仕方がない。温泉につかるとその日の疲れから一気に解放され、わ ずかな時間だが幸せな気持ちになれた。しかし、明日も今日と同じ距離をこのボロボロの 体で歩かなければならないことを考えると、すぐに現実に引き戻された。その後、野宿をして次の日の朝を迎えた。

 二日目は、5 時半起床の 6 時出発だった。昨日の疲れもあってか、初めての野宿ではあったが自分でも驚くほどぐっすり眠れた。そのため、体の疲労はかなり取れていた。しか し、歩き始めてある事に気付いた。足の裏の痛みは全くと言っていいほど取れていないの だ。その事実にショックを受けはしたが、歩かないことには始まらない。痛くない、痛くないと自分に言い聞かせながら歩き続けた。その後、二日目の要所である鈴鹿峠に差し 掛かった。三重県と滋賀県の県境に位置する。疲労は相変わらずだったが、アスファルト の道から山道になったり、途中で杖を借りられる場所があったりしたため気分転換にはな った。

 峠を越えると、伊勢街道に沿って歩くことができた。古い町並みの雰囲気に少しは救わ れ、会話も弾んだ。

 その後も歩き続け、ひとまず洗濯をするためにコインランドリーに立ち寄った。痛みで感覚のおかしくなった足をマッサージしながら洗濯が終わるのを待っていると、ふと夕焼けが目に入った。その美しさに心を奪われ、また少し長い休憩も取れたためか精神的なダメージがいくらか軽減された。そして、次の経由地であるコンビニまでノンストップで行くことになった。さっきのコインランドリーでの休憩のおかげで体力的にも精神的にも回復したかと思われたメンバーは、最初のほうは順調に進んでいくことができた。しかし、そう簡単にはいかない。三回生がペースを上げ始めたのだ。そして、姿が見えないくらいまで突き放されてしまった。必死に追いかける一回生の前に一つのコンビニが見えた。やっと到着か、と思ったがそれは別のコンビニであり、目指すコンビニはまだ 3 km先であることが判明した。僕は、あの時の絶望を忘れない。そこから先は、ペースを乱さない高木が先行し、足を引きずる僕に加藤が付き添ってくれた。コンビニに着くと、先に着いた先輩方が待っていてくださった。歩いている途中は愚痴のオンパレードだったが、長い間待っていてくださった先輩方、付き添ってくれた加藤、励ましてくれた高木には感謝したい。 そこから今日の宿代わりになるネットカフェまで二時間ほど歩いた。到着したときはすでに深夜 1 時を回っていた。次の日に備えて、休む間もなくすぐに就寝した。

 三日目の行程は一日目や二日目に比べて 10 kmほど短いことを知っていたため、朝のテ ンションは心なしか高かった。しかし、一回生は再び地獄を見る。出発して三時間あたり からペースが急速に落ちていったのだ。おそらく、時速にして 2 kmほどだろう。このまま のペースでいけば 30 km進むのに 15 時間もかかる計算になる。休憩やご飯の時間も考慮す れば 20 時間は優に超える。今日の目標行程を終えることができず、最悪、計画通りにいかない可能性まであった。そのことを頭ではわかっていても、体は言うことを聞かない。 結局、お昼の時点で残り 20 kmも残してしまうことになった。しかし、それまで足を引っ張っていた一回生が、半ばやけくそになりペースを急速に上げ始めた。そのせいで、メンバーはいくつかに分かれて、一つのコンビニを目指すことになった。そこまでの道のりは本当にきつく、一歩一歩が痛みとの闘いだった。しかし、夜になってからのしんどさは、 既に経験済みだ。夜痛みに耐えながら足を引きずるよりも、昼間に痛みを押し殺し距離を稼ぐことのほうが重要である。この、最後の難所とでもいえる道のりを歩ききった後は、達成感に包まれた。一回生のペースが急に上がったのには、二つの理由がある。一つはスニーカーで参加していた向こう見ずな一回生に稲垣さんが歩きやすい靴を貸したこと。もう一つは、西さんが持ってきた筋肉痛によく効く謎の薬である。ロードワンデリングに参加するときは歩きやすい靴と、痛み止めや即効薬が必須であることを痛感した。その日の夜は、温泉に入りラーメンを食べ、のんびりと過ごした。明日の行程は、計算上 5 kmほどである。普通に歩けば一時間半ほどかと、今回のロードワンデリングで培った感覚をたよりに想像する。この日の夜は一日目や二日目の夜とは違い、最高の夜になった。

 いよいよ最終日である。目的地の伊勢神宮はすぐそこだ。ゴールが現実的な距離まで迫ってきて、心に余裕ができた。今までなら、通りすがりの一般の方に「どこから来たの?え、京都?あらまあ、大変ねえ。頑張って!」と声をかけていただき、「ありがとうございます。頑張ります。」と答えていただけだった。しかし今日は、こちらから「おはようございます!」と元気に挨拶できた。そして、伊勢神宮外宮を経由して、ついに目的地に到着した。

 内宮を参拝し、ここに祀られている天照大御神のお札を授かった後、解散となった。帰るとき、伊勢神宮内宮から五十鈴川駅までの 3 kmほどの距離をタクシーで 5 分ほどの時間で 行けたことに、一回生は感動した。歩けば 40 分ほどかかることを知っているからだ。帰りの電車はさらに早く GPS で現在地を確認していると、思わず笑ってしまうほどであっ た。

 今回のロードワンデリングは、予想していたよりもはるかにきつかった。しかし、学べることも多くあった。例えば、三回生の経験豊富さと忍耐力の強さには、今のままでは絶対に敵わないと思った。そして三回生のようなタフな人間になれるように、もっと部活を 通して頑張ろうと思えた。また、一回生二人は二次新錬や夏合宿を経験しているため、怪我のせいでその二つに参加できていない僕よりも体力的にも精神的にも強かった。そして、山に登る経験のちょっとの差が、ここまで大きいことを痛感した。歩いているとき は、こんなしんどいこと二度とやるもんかと思っていた。しかし、終わってみるとそのしんどさよりも得られたもののほうが大きかったことを実感し、またやってみたいなと思うようになった。一緒に歩ききったメンバーの皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございます。

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